マボのファストドラフト2



マボのファストドラフト2


20世紀に、明治政府が別々の徳川時代の領域から日本の国家を造った後で、日本人の生活の可能性は本当に変わってきた。人々はだんだん政治に参加するようになり、自分の国の将来に影響を与えてきた。その上、アメリカから輸入した文化が流行っていた影響で、日本の日常は近代化されてきた。そてひ、モダンガールとモダンボーイも現れ、西欧化に対する緊張の姿になった。そのモガとモボの性格描写は政治に興味を待たないことであるが、興味があるとき大体マルクス主義の活動にあり、その若者らはマルクスボーイとエンガルスガールと呼ばれた。この作文では、マルクスボーイ(マボ)について書くつもりである。
マルクスボーイが誰だったか知っているだろうか。日本でのマルクス活動の哲学については過去に多くの学者たちによって書かかれているが、その活動の有名ではない会員や社交のことは見逃してしまう。昭和5年ぐらい前に、日本では面白くにぎやかなマルクス主義の動きがあり、その協会は国際的なマルクス主義の動きに参加していた。いろいろな人はマルクス主義に興味を持つようになったにもかかわらず、そのグループの中にマルクスボーイという本当のマルクス主義者ではないとみなされていた若い男性がいた。その人の性格描写はマルクスやレンインなどの作家の書いた書物を読み、よく語ってもあまりわからないことをはじめ、作業員のようなつなぎ服を着ていること、家族が豊かなのに階級意識についてはなすこと、などを含め、生きていたマボの例はか片岡鉄平、小林多喜二、他のプロレタリア文学活動に参加した作家たちである。他のマルクス主義者のマボについての考えはまとまっていなかった。マボが本当のマルクス主義者ではないとみなされていたが、本当の活動者と動きにいることがもう役に立つと思った。
本当のマルクス主義者であったかなかったか、政府の見方から、マボらは暴力の対象になってしまった。大正13年に、治安維持法が成立され、そのあと、マルクス主義者であることは危ないことだとみなされ、マルクス主義者の市民権は弾圧された。例えば、マルクス主義活動に参加した人々は、マボも、捕まえられ、時々小林多喜二のように代用監獄でなくなってしまった。本当のマルクス主義者ではなかったとされたにもかかわらず、モボのタイプは政府の犠牲者であった。さらには、中には関東大震災の後で、韓国人や中国人とともに自警団に殺されてしまった者もいた。それでも、自分の危険がたくさんあったにもかかわらず、日本の社会が不平等だと思ったからの男性はよくマルクス活動に入りたかく、本当に健気であった。
そのトッピクの面白さは何だろうか?今日の政治風土に現代の政財界の外のオルターナティブを考えるのが必要だと思うから、過去の政治や動きを勉強することが大切だ。発表を見に来た人たちに、マルクスボーイが誰だったか、なぜその人がマルクス主義に興味を持ったか、なぜ大正時代の政治が大切だったかを教えたい。そうしたことは、全部今日と関係があるから、このトピックはメリットがあると思う。

Comments

  1. はじめまして。ペンシルバニア州にあるハバフォード大学で教えている鈴木です。モガとモボについては知っていましたが、マボは聞いたことがありませんでした。ブログを読んでいて、『我が青春に悔いなし』という黒澤明監督の映画が頭に浮かんできました。見たことがありますか?この映画はマルクス主義ではないのですが、政治運動に関わった若者について描かれています。興味があれば、ぜひ見てください。

    一つコメントです。タイトルが「マルクスボイー」になっているので、「マルクスボーイ」に直したほうがいいと思います。。。鈴木

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  2. こんにちは、TAの羽生(はぶ)です。経済学はとても難しいトピックですね。「マルクスボーイ」と言われる人たちが様々な災難にあいながらも、その人たちの偉業が現代社会に生かされていることを知りました。
    難しい言葉が使われているので、発表のときにオーディエンスの人たちが理解しているかを確認するための質問などを考えておいたらいいですね。また、簡単な図や写真などがあるともっとわかりやすくなると思います。頑張ってくださいね!

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